「先生」って・・・その1

先日、私がよく見させていただくブログに「先生」についての話題が、ありました。
その記事と、寄せられたコメントにインスパイアされたので、私なりの「先生論」をちょっとまじめに書いてみたいと思います。

その方のコメント欄にも書きましたが、私は医療関係であることから、周りには「センセイ」と呼ばれる人がうじゃうじゃいる環境で働いています。
周りに「センセイ」がたくさんいる医療関係者にとって、「センセイ」の呼称は、ある意味、楽ですね。
「センセイはどうですか〜」
などと、話しかけることができるので。ある意味、お店で「お客さまぁ〜」と呼ぶのに近い感覚でしょうか。
この場合の「センセイ」には、「尊敬の念」は正直あんまり入っていないかも。


「センセイ」はうじゃうじゃいても、信頼し尊敬できる「先生」は限定される、ということも言えると思います。
これは、年齢、関係なし。
私の価値観としては、頭の良さだけでも、ものは言えない。「お勉強」だけができてもだめ。
頭は超いいのにねぇ・・・ていうのは、裏を返せば、それだけじゃ全く×ということ。
医療ということに限定すると、その人が持っている技術やキャリア・・・これは、本当に大切だと思いますが、これだけでもやっぱり×。
人間的に「いい人」。私的には、自分の体を任せる気になるためには重要だと思いますが、医療を行う上で、やっぱりこれ”だけ”では危険かな。ちなみに、どんな人が「いい人」なのか。これは患者さん一人一人で基準が違うのかもしれません。まあ、患者としてかかる病院で「センセイ」の性格があんまりよくわからなくっても、まわりのスタッフがよい場合だと、それでOKな時もあるかとも思います。特に、軽い病気だけ、なんて時には。
そして、そのほかに私が「先生」とよばれる人に要求すること・・・なんと書けばいいのか、ちょっとわからないけど・・・「心」。ただただ、患者さんを事務的に処理していくセンセイがいるのは事実。そうであって欲しくない。

そうか・・・書いていてわかってきたのは、患者として診てもらうときの「先生」と一緒に働く「先生」に求めることが、全く同じではない、ということ・・・一緒に働く場合は、その「センセイ」の人間性が、より大事になるのかも。

いずれにせよ、尊敬できる「先生」になるためには、「技術・キャリア」「知識」「人間性」などなど、数々の関門があるんだと思います。

そして、今度は、教育者としての先生。これは明日に。